都鳥

 

756

万葉集で都鳥が詠まれる(大伴家持)

860年頃

伊勢物語で都鳥が詠まれる(在原業平)

1692

ユリカモメ説とOystercatcher説などが混在

16921814

契沖らの説によりユリカモメ説優勢

1814

北野(佐原)鞠塢『都鳥考』で都鳥=Oystercatcher説を発表

1830

鳥類便覧(島津重豪)Oystercatcher説を採用

1891

日本初の正式な図鑑、日本鳥目録(飯島魁)Oystercatcherにミヤコドリという和名を採用。

1944

Oystercatcher説優勢

1944

熊谷三郎『都鳥新考』でユリカモメ説発表

1944年〜

ユリカモメ説優勢

 

伊勢物語

名にしおわば いざ事問はむ 都鳥 わが想う人は 在りや亡しやと

都と言う名を背に追っているならば、いざ質問しよう都鳥、「私が思う人はそこに健在でいるのかどうか」と

在原業平 (825880.7.9)

伊勢物語 (900年頃成立) 

(70年以上にわたって多くの人間により増補、フィクションも多数混在)

       (在原業平が東下りした事跡はない)

(業平が京に戻ったのが貞観34年なので、この歌が詠まれたのは858 〜862年頃=真泉光隆)

(862年夏に東下りに出た=すみだ郷土文化資料館)

(東下りは849862年=池田彌三郎)

(857877年隅田川で歌を詠んだ=墨田区)

(880年 元慶四年 に詠んだ〜島正之)

(880年 元慶四年 〜隅田川市民交流実行委員会)

 

古今和歌集

905年成立

白き鳥の はしと足と赤き 川のほとりに遊びけり

伊勢物語

961年頃成立

しろき鳥のはしとあしとのあかき、しきのおほきさなる

水のうへにあそひつつをくふ

今昔物語

12世紀以降

水ノ上ニ 鴫ノ大キサ有ル 白キ鳥ノ 嘴ト足トハ赤キ 遊ツツ魚ヲ食フ

白き鳥嘴と脚と赤き鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚をくふ

京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず

 

季節

(陽暦4月下旬説、7月初め説、8月説も) 

都鳥は冬の季語

能の『隅田川』は春(梅若忌は旧暦315)

場所

東京都 隅田川 現在の白鬚橋付近

(埼玉県春日部市浜川戸八幡宮付近、古隅田川という説も)

大きさ

シギ大(タシギは『ましぎ』とも呼ばれ、シギの代表)

全体の色

(しろでなく、くろ説も)

嘴の色

脚の色

行動

水上に浮かんでいる

魚を食う

京都

京都では見かけない鳥

 

『旅の順路をたどれば季節は夏。伊勢物語に出てくる主人公は隅田川に7月の始めに到着、当然ユリカモメは北に帰っていないはずである。万が一残っているものがあったとしても頭部が黒くなっていて特徴的な様子になっている。伊勢物語の表現にはあてはまらない。』

という説もある。                                         

能の『隅田川』では315日。(新暦4)

長唄で都鳥は『沖のかもめ』

古代人にとって白い鳥は他界にも自由に行き来すると信じられていた霊鳥である。

だから、遠く離れた都の女の状況を聞く『名にしおはば』の歌が生まれた。

ヤモトタケルが亡くなったときに、白い鳥になってヤマトの国へ帰っていった。

 

 

ミヤコドリ説

貝原益軒

『大和本草(1709)

[今案ずるに西土にて都鳥と称する鳥あり 背は黒く 腹脇白く 嘴と足と赤し 嘴長く けりの形に似てその形うるはし 伊勢物語み言へる 都鳥是なるか]

北野鞠塢

きたの きくう

(梅屋鞠塢)(佐原鞠塢)

17621831.8.29

奥州角田出身

江戸時代の博物学者、怪商

百草園を開園(1805)

『都鳥考』を発表(1814)

伊勢物語の都鳥は『くろき鳥』とすべきを、『しろき』と誤記。

少なくとも隅田川辺では古くからチドリ類のミヤコドリを都鳥と呼んでいた。

山田修七郎

『万葉の鳥』(1985)

荒俣宏

世界大博物図鑑(1987)

シギに近い種なのでシギ大と言った。

『京で見かけぬ珍しい鳥』はミヤコドリにふさわしい。

『日本動物総目録』でミヤコシギと呼んでいた。

 

ユリカモメ説

『隅田川』

室町時代 1430年頃  観世元雅

あれこそ沖の鴎候よ

(歌舞伎の梅若伝説も)

日葡辞書

1604

Miacodori.Camomeに同じ。詩歌語」という。

北村李吟

1624年〜1705

『伊勢物語拾穂抄』(1680)でユリカモメとした。

契沖

けいちゅう

1640年〜1701

『勢語憶断』(1692)でカモメの一種とした。

賀茂直淵

1697年〜1769

『伊勢物語古意』(1793)でカモメの一種であるとした。

葛飾北斎

17601849

『都鳥図』にはユリカモメが描かれている。

広重

17971858

浮世絵『すだの渡し』では二羽の鴎が描かれる。

岩崎常正

マックビーン

『武江産物志』(1824)には「鴎 隅田川 みやこ鳥也」とある。

記載されているチャガシラカモメはユリカモメか。

山鳥

『江戸名所花暦』(1827)の『隅田川の雪』で「隅田川 水の上にもふる雪の 消え残れるは 都鳥かも」の歌と共に鴎が描かれる。

斉藤月岑

18041878

『江戸名所図会』(1832)では『角田河渡(すみだがわのわたし)』の挿絵に、隅田川を渡る業平の一行と、飛んでいる八羽の鴎、水に浮いている五羽の鴎が描かれる。

『東都歳時記』 (1838)では『看月(つきみ月見)』の名所として隅田川を紹介し、浮かぶ鴎が描かれる。

(月見は新暦の9)

熊谷三郎

本名 熊谷三郎平

1896131日〜1954617

鳥類学者

岩手県一関の豪商『熊文』という造り酒屋の17代目。

野鳥研究に没頭し身代を潰したといわれているが、実際には三郎の中学時代にすでに倒産していた。

残っていた財産で事業を始めたが、番頭任せで倒産。

三郎の父、十六代三郎の英語の家庭教師は島崎藤村。

研究による著書『都鳥新考』(1944)発表。

両国付近の舟宿や、浦安の船頭たちからユリカモメを都鳥と言うのを聞いた。

浦本昌紀

鳥の手帖(1990)

唐沢孝一

都市鳥ウォッチング(1992)

ユリカモメの特徴を表している。

大橋弘一

鳥の名前(2004)

菅原宏

鳥名の由来辞典(2005)

 城之内早苗の歌、『都鳥』もカモメ説

 言問最中もカモメ説

 

宜秋門院丹後

新古今和歌集

おぼつかな 都に住まぬ都鳥 言問う人に いかが答えし

そもそも、その鳥はなぜ地元で都鳥と呼ばれていたのか

小山田与清

十六夜日記残月抄(915)

都鳥のミヤは声によりておほせコドリはよふこどり、みやこどりなど小鳥に同じく大鳥に対へし稱なり。

幸田露伴

音幻論(1947)

伊勢物語の都鳥は「ミヤと鳴く小鳥(ウミネコと混同?)

山田修七郎

『万葉の鳥』(1985)

鳴き声のミヤに、愛称の接尾語が付いてできた名。

『都』と同音になることから、遠地で都をしのぶ情を託する意味が多く、この歌もその心で鑑賞すべきである。

山本章夫

萬葉古今動物正名(1926)

都は假字なり。みやびたる鳥なれば『みやこどり』と名づけたたるなり。

みやはみやびやかの下略、もとより都にすむ鳥に非ずれば都鳥と名づくべきよしなし。

されど、みやこどりの名により都のことにかけていへる歌のならひない云々

川口孫次郎

博物館研究

フワリフワリと滑らかな飛び方、水面に餌を見つけて颯と下りて魚類などを食う。

いかにも軽やかに水面に浮く。

立ち居振る舞いが都雅であるから。

当時の庶民にとって都とは東北を指していて、東北からやってくる鳥なので都鳥。

 

ミヤコと付く生物

由来

ミヤコアオイ

植物

近畿などに生息

ミヤコアザミ

植物

アザミに似て、上品で優しいのを都の人にたとえた。

ミヤコウミウシ

腹足綱

分布は西日本

ミヤコグサ

植物

『都草』説

今は広く分布しているが、昔は都市近郊に分布し、京都の耳塚に多く自生していた。

『脈根草』説

根が薬草として使われ、薬草名のミャクコングサが変化。

ミャクコングサ→ミヤッコングサ→ミヤコグサ

ミヤコザサ

植物

比叡山で発見されたので京都にちなんで名付けられた。

ミヤコタナゴ

魚類

東京市小石川の東京帝国大学付属植物園で発見されたことから。

ミヤコテング

魚類

宮古島

ミヤコボラ

魚類

中部以南

ミヤコミズ

植物

京都付近で採取されたので『都ミズ』の意。

ミヤコムシオイ

貝類

分布が近畿なので、『京の都』の意味か。

ミヤコワスレ

植物

ミヤマヨメナの園芸品種

佐渡に流島された順徳天皇が、この花を見ると都の思いを忘れられるとの話による。

 

池田定常

17671833

因幡若桜藩主

随筆集『思出草』続編によると、江戸時代に九州や中国で都鳥と呼ばれた鳥はシギ程の大きさで、くちばしは赤みをおびているが、水に浮かぶ鳥ではなく、オオバンの類だという。

林天然

『文学上の動物』(1909)で、ミヤコドリという名はオバシギの一名だとした。

 

場所

隅田川は、平安時代中期から室町時代までは武蔵と下総の国境を流れていた。

 

 

 

万葉集

船競ふ堀江の川の水際に 来居つつ鳴くは都鳥かも

船が競って漕いでいる堀江の川の水際に来て居つつ鳴くのは、都鳥であろうかなあ

大伴家持718785

万葉集 20巻 4462

天平勝宝八年(756)

難波堀江

 

大伴家持の歌に出てくる都鳥は ユリカモメではないとする見方があります。
その理由として、この歌の作成日が旧暦の三月二十日に作られていて、新暦にすると4月末で、ユリカモメは北に帰っているというものです

 

 

ミヤコドリ説

貝原益軒

『大和本草』(1709)で「今案ずるに西土のて都鳥と称する鳥あり、背は黒く、腹脇白く、嘴と足と赤く、嘴長くけりの形に似て其形うるはし。伊勢物語にいへる都鳥なるか」の記載あり。

東光治

「続万葉集動物考」(1943)の中で、水際に降りて鳴くのは飛翔に優れたユリカモメにはそぐわない。

そして、この詩が420日に詠まれている事から「ミヤコドリ」

4464の歌の後に『右の5首は20日、作れり』と記され、4463の歌にホトトギスが鳴き始めたとなっているので4月。

420日にはユリカモメはいなくなっている。

澤瀉久孝

『萬葉集注釋』(1958)で「鳥の習性から考へてこれは千鳥科のミヤコドリでなければならない」

荒俣宏

世界大博物図鑑(1987)

ユリカモメは万葉集では別に『かまめ』があり、わざわざ都鳥と詠むのはおかしい。→反論《『和名抄』でも鶺鴒をニハタヽキと詠んだり稲負鳥と呼んだりした(堀田正敦)

浦本昌紀

鳥の手帖(1990)

大橋弘一

鳥の名前(2003)

 

ユリカモメ説

契沖

賀茂

真淵

江戸時代に、家持の歌は7562(新暦3月中旬)で、カモメ(江鴎)であるとした。

(世界大博物図鑑)

熊谷三郎

寂しい磯などに稀に少数ですみ、警戒心も強いミヤコドリはこの歌にふさわしくない。

船の往来が賑やかな情景からして、これはユリカモメ。

中西悟堂

ユリカモメは春にもいて、都市部の入り江に群れるから、これはユリカモメ。 定本野鳥記 五巻(1964)

山田修七郎

『万葉の鳥』(1985)

川口爽郎

続日本紀巻十九、三月甲寅朔、太上天皇幸堀江上とあるから31日とするのが穏当。

 

江戸時代の博物図譜には都鳥として、ユリカモメの図とミヤコドリの図がある。

当時すでに名前が混乱していた。

 

ミヤコドリという和名は、オバシギの一名だとする説がある。

(明治42年 博物学雑誌)

 

江戸時代中期の『観文禽譜』には「みやこどり うばちどり 脚長く 頭部黒色腹及翅白く尾黒し 眼及嘴丹紅 脚紫赤にして後指なし」と記されている。

ユリカモメは『形かもめより小 足赤く 嘴さき微赤』

 

その後、都鳥は多くの歌人によって歌われてきた

舟わたす すみだ川原に 降る雪の 色にまがへる 都鳥かな

        平安末期、頼政集の歌にも伊勢物語の影響が見られる。

こととはばありのまにまにみやこ鳥都のことを我にきかせよ(和泉式部)
吹風ものとけき花の都鳥をさまれる世のことやとはまし(少将内侍)
あれはてしこれや難波の都鳥いまも堀江の川に鳴くなり(太上天皇)
越の海にむれてゐるとも都鳥みやこの人そこひしかりける(源順)
やそ島の都とりをそ秋の野に花みてかへるたよりにはみる(好忠)
ふるさとをこふるねさめのうら風に声なつかしきみやこ鳥かな(相模)
名にしおはばしらしなわたの都鳥心つくしのかたはとふとも(後頼朝臣)

都以外の地に在って都鳥を詠むというのが一つのパターンになっていった。

都鳥の分布、習性は詠まれないで、都にかけての掛詞として扱われている。

俳句、詩歌で都鳥とはユリカモメの事

 

ミヤコドリ

ユリカモメ

都鳥

季語

(俳句)

(詩歌、俳句)

 

ミヤコドリ

稀な旅鳥、又は冬鳥として渡来。

105月。

これまでの渡来記録は7月を除く各月に及び、911月に多い。

明治の初め頃には冬鳥として普通に生息し、東京湾沿岸にも多かったともいわれる。

(清棲幸保 野鳥の事典)

日本では(日本の植民地だった)朝鮮以外稀なり。

(黒田長禮 鳥類原色大図説 1933)

『東京湾にガンがいた頃』(塚本洋三)では19579月に一羽のミヤコドリが浦安に現れ、ニュースになった。

(1939年に埋め立てて船場としていた)

ユリカモメ

8月中旬から見られ、104月に多い。

現在の京都では、鴨川などでこのユリカモメはよく見られる鳥になっているが、1974年初めて見られるようになったという報告がある。

昭和24年の1月、激しい寒波で海が荒れ、数十羽が避難してきたのが始まり。

日本に来るユリカモメの繁殖地はカムチャツカで、カムチャツカでは繁殖地が拡大していて、日本への飛来数も増えた。

 

シギ大(タシギは『ましぎ』とも呼ばれ、シギの代表)

 

タシギ

ミヤコドリ

ユリカモメ

全長

27

45

40

翼開長

43

86

93

体重

217

490

300

 

 

ミヤコドリ

ユリカモメ

ピッ、ピ

ピリーッ

クリーッ

ピッピッ

キュリーッ

ピリーッ

キュピイ

 

ギィー

ギューッ

ギューィ

ギーッ

ガッ

ギッ

ガー

ガァガァ

ギィィ

『鳥名抄』で栄川省造氏はユリカモメの鳴き声を『ニャーニャー』とした。

平安時代、犬の声は『びよ』

 

 

ミヤコドリ

ユリカモメ

別名

うばちどり(江戸時代から)

かはかもめ(江戸時代前期)

なんばんどり(江戸時代中期)盛岡

しんふ(江戸時代中期)

につこべ(江戸時代後期)

づぐろかもめ(江戸時代中期)

うわちどり

ごめ

 

かごめ

 

かもめ

 

はどかもめ

 

うわちどり

 

ちうない

 

ひくいどり

 

かぐめ

 

かつめんとい

 

ふがはりかもめ

 

けりがもめ

 

みやこしぎ

 

みやこどり

 

『かもめ』の別名

みやこどり(埼玉県北足立郡新田村、大阪府、栃木県、愛知県春日井郡)

 

ミヤコドリの異名『うばちどり』は、首、背が黒色で他の千鳥より色が地味なので姥千鳥とした。

 

『みやこどり』と呼ばれた鳥

ユリカモメ

ミヤコドリ

アカアシシギ

オバシギ

ムクドリ(沖縄)

オオバン

尾長鳥

都鳥文(みやこどりもん)

ユリカモメ風

 

 

 

 

私の『新都鳥考』

ミヤコドリ

ユリカモメ

個体数

少し前は稀な鳥だったが、今では場所によっては多くなり、増減が激しい鳥かも知れません。

昔の文献などに図が描かれているので、今よりは多かったと思う。

ユリカモメは『白いカラス』とも呼ばれ、ゴミもよく食べるが、昔はゴミも少なくユリカモメも今よりは少なかったと思う。

警戒心

個体数が多ければ現在よりは弱め?

現在に比べれば多少強め?

場所

海岸部に多く、川には来ない

川にも多い

都鳥

鳴き声は『ミヤ』と聞こえない。

頻繁に鳴かず、声は印象に残らないので、声を名前に付けるとは思えない。

鳴き声は『ミヤ』と聞こえなくもない。

地元ではウミネコも含めて都鳥と呼んでいた可能性も。

姿が地味だとして姥千鳥の名もある。

 

『大和草本』で、「其形うるはし」とあり、『都』を連想してもおかしくはない。

『都』のイメージは、スマートとか白など。

鴎の中では見た目がきれい。

ゴミの少なかった昔は人との距離も遠く、今ほどには図々しくなかったと思う。

距離があれば声も小さく上品?

ユリカモメに合致。

大きさ

昔は小さいシギはチドリと呼んでいた。

ダイシャクシギなどは杓鴫と呼んだ。

『シギ大』とはタシギ大。

ミヤコドリ、ユリカモメ共に合格。

行動

『水の上に遊びつつ魚をくふ』

この部分だけ見ると潜水鴨やカイツブリ、アビ、鵜がピッタリ。

ミヤコドリよりはユリカモメが近い。

季節

伊勢物語には『創作』が多い。

複数の人物の歌をまとめ、一つにつなげた作品だと思う。

『都鳥』の描写は正確なようだが、前後の歌は実際とは違う順番だったり、別の人物の歌だったり色々手を加えていると思う。

季節のことは無視して構わないと思う。

 

 

ミヤコドリ

ユリカモメ

季節

場所

大きさ

全体の色

嘴の色

脚の色

行動

×

魚を食らう

×

警戒心

京都にいない

 

 

ミヤコドリ

ユリカモメ

ミヤと鳴く

×

京を連想

 

伊勢物語

ユリカモメ  90%

万葉集

ユリカモメ  60%

 

 

参考文献

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鳥類ノ方言

1925

黒田長禮

鳥類原色大図説

1933

東光治

万葉動物考

1935

熊谷三郎

都鳥新考

1944

長瀬治

伊勢物語精解

1960

嶋中鵬二

日本の歴史 4 平安京

1965

清棲幸保 

野鳥の事典

1966

雨海博洋

文法全解 伊勢物語

1969

角田文衛

王朝の映像 平安時代の研究

1970

鹿児島徳治

隅田川の今昔

1972

岡一男

平安朝文学事典

1972

池田彌三郎

日本の旅人 在原業平 東下り

1973

清棲幸保 

日本鳥類大図鑑 U

1978

森野宗明

伊勢物語の世界

1978

桜井正信

東京江戸案内

1979

前島康彦

向島百花園

1981

奥田夏子他

野鳥と文学

1982

川口爽郎

萬葉集の鳥

1982

五来 重他

日本の旅びと

1983

市古貞次他

日本古典文学大辞典 第一巻

1983

柳田忠則

伊勢物語異本に関する研究

1983

杉本苑子

伊勢物語

1984

山田修七郎

万葉の鳥

1985

原国人

伊勢物語の原風景

1985

今井源衛

王朝の歌人 3  在原業平

1985

黒田長禮監修

動物大百科 鳥類 U

1986

島正之

隅田川

1986

久松潜一

萬葉集事典

1986

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世界大博物図鑑 4 鳥類

1987

唐沢孝一

マン・ウォッチングする都会の鳥たち

1987

鹿児島徳治

隅田川の今昔

1987

鈴木亨

業平の伝説

1987

かのう書房

文学で探検する隅田川の世界

1987

唐沢孝一他

四季の野鳥

1988

片桐洋一

伊勢物語

1988

黒田長禮監修

鳥の日本史

1989

かのう書房

隅田川の歴史

1989

鈴木理生

江戸の川東京の川

1989

浦本昌紀監修

鳥の手帖

1990

国文学編集部

古典文学、近代文学 作家の謎事典

1991

榮川省造 

異説 鳥名抄

1991

編集委員会

日本古典文学大辞典

1991

日本野鳥の会

水辺の鳥

1992

吉沢靖

東京文学散歩

1992

唐沢孝一

都市鳥ウォッチング

1992

真泉光隆

年表 隅田川

1992

菅原宏、柿澤亮三

図説日本鳥名由来辞典

1993

矢部治

万葉の鳥、万葉の歌人

1993

荒俣宏

絶滅・希少鳥類

1993

石川勉

東京湾の渡り鳥

1993

唐沢孝一

都市の鳥 その謎にせまる

1994

柴田敏隆

身近な野鳥図鑑

1994

高橋幹夫

江戸萬物事典

1994

中村登流

原色日本野鳥生態図鑑(水鳥)

1995

松田道生

江戸のバードウォッチング

1995

久保田淳ほか

古典文学動物誌

1995

隅田川市民交流実行委員会

都市の川 隅田川を語る

1995

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日本動物大百科 鳥類1

1996

久保田淳

隅田川の文学

1996

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大都会を生きる野鳥たち

1997

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東京都の不思議辞典 下

1997

西沢正史

日本古典文学研究史大事典

1997

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都市の鳥類図鑑

1997

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東京文学地名辞典

1997

梶島孝雄

資料 日本動物史

1997

大曾根章介

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鳥のうた

1998

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史跡でつづる東京の歴史

1998

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日本うたことば表現辞典 動物編

1998

青木宏一郎

江戸時代の自然

1999

松田道生

大江戸鳥暦

1999

井上宗雄、武川忠一

和歌の解釈と鑑賞事典

1999

久保田淳、馬場あき子

歌ことば歌枕大辞典

1999

京極徹

図説 日本の野鳥

2000

高橋千剱破

花鳥風月の日本史

2000

すみだ郷土文化資料館

隅田川の伝説と歴史

2000

稲畑汀子、飴山實

鳥獣虫魚歳時記

2000

西沢正史

古典文学の旅の事典

2001

吉田金彦

語源辞典 動物偏

2001

青木生子ほか

万葉ことば事典

2001

東京の川研究会

「川」が語る東京

2001

磯野直秀

日本博物誌年表

2002

梶尾孝雄

日本動物史

2002

飯田雅男

橋から見た隅田川の歴史

2002

東京江戸博物館

隅田川をめぐるくらしと文化

2002

市古貞次、久保田淳

日本文学大年表

2002

榎本好宏

季語語源成り立ち辞典

2002

大橋弘一

鳥の名前

2003

西沢正史

古典文学作中人物事典

2003

鈴木理生

江戸、東京の川と水辺の事典

2003

松田道生

大江戸花鳥風月名所めぐり

2003

青木登

名作と歩く 1 東京 山の手 下町

2003

橋本文三郎

歳時記語源辞典

2003

稲垣史生

考証 江戸を歩く

2003

山階鳥類研究所

鳥の雑学事典

2004

田中登他

平安文学研究ハンドブック

2004

山岸哲

けさの鳥

2004

山岸哲

聴いて楽しむ野鳥100

2004

小野一之

人物伝承事典

2004

加藤貴

江戸を知る事典

2004

菅原宏

鳥名の由来辞典

2005

吉井正

世界鳥名事典

2005

塚本洋三

東京湾にガンがいた頃

2006

小林惠子

大友家持の暗号

2006

堀田正敦

江戸鳥類大図鑑

2006

久保田淳

知っ得 古典文学動物誌

2007

藤井宏子

隅田川と芸能

2007

塩田丸男

日本詩歌小辞典

2007

久恒啓子

私の伊勢物語

2008

信子

俳句と詩歌であるく鳥のくに

2008

安部直哉

野鳥の名前

2008

江副水城

鳥名源

2010

細川博昭

身近な鳥のふしぎ

2010

 

  

 

 

 
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